昨日26日の金スマは、近藤真彦さんの3時間スペシャル
当時とてもファンだったので、
懐かしい映像が出てきて、たまりませんでした。
「番宣の涙の理由ってなんだろう?」
別の話かと思っていたので、
そんなの放送してもいいの?なんて、思いながら見てたら、
違ってて、お母さんのことでしたね^^;
ほんとうにファンだったので、
「ザ・ベストテン」は、正座して見てたものです。
当時は、ビデオも普及していないし、
ビデオで録画する習慣もないから、
ただただ、楽しみに、その瞬間を見ていた。
だから、いろいろな映像が流れたけど、
とても鮮明に覚えていました。
初めて、「ザ・ベストテン」に出た時のことも。
マッチは、トシちゃんよりも、1年デビューが遅れたので、
まちこがれたデビューだったし、
歌でした。
でも、トシちゃんと同じく、とっても人気があったので、
歌を歌ってない、デビュー前にもかかわらず、
なにか、年末に、賞をとったのを、覚えています。
私の家は、当時今よりもテレビのチャンネルが少なくて、
だから、「たのきんトリオ」の学園ドラマとかが、見えませんでした。
高知のはしっこの子たちは、宮崎放送がはいるので、
それらが見えるから、とてもうらやましかった。
「愚か者」の時に、レコード大賞をとって、
泣きながら歌っていた時、当時、
「なんか、急にうまくなったな…」って思ったけど、
裏にそんな重い事柄を、背負っていたとは、
昨日まで知りませんでした。
マッチ22歳。今の時代の22歳の子に、
そんな重い選択を、たくすことができるでしょうか?
しかし、あの時から、マッチは変わらず、
無邪気で少年のようで、
今46歳なんですが、ありえないくらいかっこいい。
ここら辺の46歳とは、えらい違いです^^。
「ファンのために、マッチを演じているんです。
ファンは近藤真彦を見に来てるのではなくて、
マッチを見に来てるんです」
たのきんの時代は、彼らが神でした。
私の田舎の同級生の男の子たちと、
たのきんは、まったく違った人種でした。
今の「嵐」以上でした。
彼らが、少年の頃あそんだ、スケボー、場所。
そういうのが、今見えて、とてもうれしかったです。
夕べは、子供に戻っていました^^
番組が終わって、ネット検索していたら、
2ちゃんに当たって、書き込みを読んだら、
「今でも、とってもカッコイイ
30年間、ずーっとマッチのファンで良かった。
これからもついていきます」ってありました。
そうファンに思わせるマッチって、
ほんとうにカッコイイと思います。
お母さんの遺骨を盗んだ人は、
今でも普通に日常を送っているのでしょうか?
良いことをすれば、良いことが返ってきます。
悪いことをすれば、悪いことが返ってきます。
いつか…
それがわかる「時」がきますよ。
ビクトリーの管理人のひとりごとでした。
今日も読んでくれてありがとう。
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番宣が流れるたびに、興味深く、放送が待ち遠しかったです。
お母さんの事は、私の記憶には、まったくなくて・・・
亡くなっていたということも知りませんでした。
ほぼharuちゃんと同年代^^の私も、haruちゃんが言うように
「ただただ、楽しみに、その瞬間を見ていた。」ひとりです。
マッチを演じる・・・その犠牲になることの方が、多いように思います。
本当に格好よかった♪♪♪
新曲「ざんばら」発表の時、
「いい詩ではあるが、当時のマッチには、歌わすことが出来なかった曲」
と言われた言葉の裏の深い意味がわかった番組でした。
折れた腕をつって歌ってたやつとか、
出始めにくす玉割ったやつとか、
ほんとうに、しっかりと覚えてるの*^^*
自分でも驚くくらいに。
今の子は、嵐とかが、こんな番組を、30年後にしても、
きっと、あまり覚えてないでしょうね。
今は、ちゃんと、録画できるから。
自分の頭で、覚えなくても、保存できてるからね。
さみしい時代です。
レコ大とったときを、この番組中にもういっかい見たら、ほんとうに号泣でした。
こんな思いで、賞をとったなんて、
こんな思いで、歌ってたなんて、
涙がとまりませんでした。
芸能人、スターって、大変ですね。
普通のひとより、いろんなこと経験してしまうし、
大変なことに巻き込まれてしまう。
切なすぎます。
レコ大の発表の時、客席で頭かかえてうずくまった姿。。。
あれは、喜ぶ姿では、なかった・・・と思ったらたまらん><
あの歳で、レコ大辞退・・・な〜んて言ったら、なまいきって思われちゃっただろうし・・・
かかえるには、あまりにも大きいね。
お墓参りに行く事の矛盾・・・寂しさ・・・たまらんわ〜><