
とてもお天気のよい休日。
平田のさくらが9分咲きで、とてもきれいだった。
家族そろって、今年もまた、見ることができたことに感謝する。
2006年3/25に、別のサイトに書いた日記を読み返してみる。

3/29日が、母のカテーテルの手術の予定でした
昨日まではとくに悪くも無く、調子いい日が続いてましたが、
今日は朝から気分が悪かったみたいです
母からの電話は午前11時
とても立てないほど
初めて救急車を呼びました
かかりつけの病院は、今日は当直の先生、科も違います
点滴で様子を見ますが・・・病状が変わらない
すぐに総合病院へ転送となりました
看護婦さんと当直の医師も一緒です
救急車なのに、今日は異常に遠く遅く感じる
着くなりカテーテルの手術になりました
とても心配で心配で、たまらなかったが、
30分くらいたったころ、なぜか、気持ちが落ち着いたのです
治療が成功した時間でした
おかしなもので、外で待っているのに、なぜか落ち着いたのです
それから医師が出てきて
『もう大丈夫ですよ』とおっしゃってくれました
感無量でした
もし、病状が悪すぎると、こんどはヘリで次の病院に
搬送される予定でした、でも、それはしなくてよかったのです
完全に血管が通ったから、もう安心です
今日は3/25
去年私が、手術をした日です
生きる運があるなら・・・
何かに”生かされているのかもしれない”
母も、私も
さくらが、あちこちに、咲き始めました
春がきたようです・・・

その同じ頃、病気と闘っていたお友達がいます
今、病気と闘っているお友達もいます
私は・・・病気ではない、あるものと、闘っています
3年前に病気を乗り越え、さらに、今また乗り越えなければならない、
大きな壁によじのぼっている・・・
皆がそれぞれ、なにかに生かされているならば、
その意味とはなんなのか
どうしてこんなつらい思いをすることがあるのか、
あれから3度目の桜を見ながら、考えてみた
おうえんしてください><


